まいどおおきに相変わらず適切な叱り方が分からない系オカンさとえみです。

今回は私が子育ての限界に達した時の具体的な話をしたいと思います。
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まずはおさらいですが、私には3人の娘がいて、それぞれ2歳ずつくらい離れています。

想像がつく人にはつくのですが、計2回ほど二歳児と一緒に過ごす臨月というものがあり、特に2回目の時に体力気力ともに限りなく疲弊したのです。




1度目の時に限界を迎えなかったのはラッキーだっただけだと、この時強く思ったのをよく覚えています。

次女はとにかく筋力があり、一度暴れ始めるとそれを抑えるのにも苦労しました。

そしてよく食べるので、長女が2歳の時よりも体重があり、抱っこをせがまれても臨月だった私にはつらいものがあったのです。



もちろん本人にはなんの罪もなく、ただただ私のみがつらい状況の中で、「殴って言う事を聞かせれば『楽』なのに」という考えがじわじわとはびこりました。

その考えが芽生えてしまう事、そのものに嫌悪感を持ちつつも、1秒1秒をやり過ごす毎日はなかなかの地獄だったと記憶しています。


そこで積極的に介入してくれたのは漫画にもあるとおりベルギー人夫のヤンでした。

彼は下の子が生まれて不安定な次女の気持ちを思いやり、ずっと次女を抱っこしてくれたり本を読んだり散歩に連れて行ってくれました。彼が家にいる間はほぼ四六時中です。



その上で「ママのお腹の中には赤ちゃんがいて大変で、ママの言う事を聞かないとママが疲れてしまう」と言う事を懇々と言い聞かせました。

それでも次女が癇癪を起こす事はありましたが、パパが後で次女と一緒にずっといてくれると言う確証は私や次女本人にもお守りのような作用を与えてくれたのです。

叱り方が分からない私のために彼は率先して子どもたちを叱ってもくれました。

(ただ単に頭に血が上っただけかもしれないけれど)

しかし子どもがあやまったり仲直りの絵を描いたりすると、それまでの事を一瞬で忘れたかのように許しました。

(ただ単に忘れっぽいだけなのかもしれないけれど)

だからと言うか、なんと言うか、我が家の子どもたちは全員パパが大好きなのです。

特に次女は大きくなってからもパパを見るとすぐに飛びつきます。









もし人生に分岐点があるとするならば、

確実にあの時期あの瞬間に何かしらの分岐があったのだろうと推測します。



私がかろうじて「こちら側」にきた、「とどまれた」ので合って、


とどまれなかった人との差異はほとんどないと考えています。 



自己嫌悪の炎に全身を焼かれるような痛みを感じながら、あちら側にいってしまった 人を思うと涙が止まらなくなる。